人の死を目の前にしたときの迷いと決断
当時のわたしが小学生4年生の時、祖母が亡くなりました
わたしはその時初めて
人は本当にいつか死んでしまうんだ。と
私は母子家庭で育ち、母と糖尿病で入院していた祖母、母の兄のおじさん
たまに母の弟さんにお世話になるくらいで、親戚付き合いはとても少ない家庭でした
祖母の件があってから
毎日人間の死について考えました
小学生なりに当時調べ尽くしたと覚えております
無性に怖くなりました
とてつもなく 毎晩毎晩
寝る時母にしがみついて泣いていました
楽しく友達と遊んでいても、ふとこれが無くなる時がくるのかと考えると。。
恐ろしくてたまらなかったのです
でもこの気持ちをどう消化して良いものか
当時の私にはまったくわかりませんでした
その内中学で勉強が忙しくなり
人の死というものから遠ざかりました
しかし、中学3年生になり
いじめが学年で流行るようになりました
わたしは初めて自殺未遂をしました
母はすごく悲しみました
とにかく私は卒業するまで
部屋の電気のひもに、卒業式までのカウントダウンの日めくりカレンダーのようなものを作って
あと、68日。。
あと67日
あと66日学校に行けばここから出られる!
そう言い続けて卒業式を迎えました
そんなこともあり、高校は無事そんないじめグループや、そのとりまきが居るグループとは別の中くらいの学力でしたが、高校に進学出来ました
こんなに学生生活が幸せなのか。と思うくらい毎日楽しく過ごしました
そして大学へ進学しました
大学はとても学費を無理して行った為、アルバイト漬けの毎日でしたが、それでも充実して楽しく過ごしました
初めてのたくさんの友達
初めての彼氏
初めて自分で選んだ道の勉強
そんな中、突然アルバイト中に考え始めてしまったのです
ふとした時に。
気がつけば過呼吸をおこし、いつも怖いマネージャーが最寄駅まで送ってくれ、母が迎えにきてくれました
あの時おかしいと思った感覚はまた就職を機に忘れてしまいました
今思えばとんでもないブラック企業でしたが、忙しさで全て忘れることが出来たのです
そしてその当時の大学で付き合っていた初めての彼氏と遠距離を続けていた私は
無事、結婚
引越しし、母の事は心配でしたが、結婚前に旦那さんに許可をもらい、自分のパートの稼ぎから仕送りを毎月5万しながら順風満帆に見える生活をしていました。
旦那さんは営業マンでした
夢のない現実的な人でしたが
経済学部出身で、お金のことはしっかりしていました
しかし、2年後
株をしたいので私の母への仕送りをやめて欲しい
と言われました
では、母はどうするのかと言いました
旦那さんは、生活保護でも受けさせればいいだろ
と。
これが離婚を決断するきっかけになりました
そして幸せに見えた結婚生活で
パニック障害と鬱と診断されました
とても不思議でした
続
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